見えない糸を
つむぐ
京町家まちづくりファンド 助成実績紹介エッセイ vol.02 / 2021-09-28
書き手:甲斐 かおり
京町家まちづくりファンド改修助成事業 平成26年度(2014)選定の京町家『谷村邸/つづれ織工房おりこと』を、甲斐かおりさんと訪ねました。
甲斐さんは、南阿蘇と東京の2拠点で生活をしながら、日本各地を取材し、地域をベースにした仕事や暮らし、地域文化をテーマに執筆されているライターです。手がけられている分野は、ものづくり、農業、移住、地域コミュニティ、市民自治など、多岐に渡ります。
そんな甲斐さんと訪ねた谷村邸は、細い路地がつづく西陣エリア。かつて織の職人が集まっていたこの辺りには、いまも古い家が軒をつらね、織屋建(おりやだて)と呼ばれる独特のつくりの京町家が残っています。今回取材したのは、まさにこの織屋建に暮らし、西陣織でも手のかかる「爪掻きつづれ織」の工房を営む谷村ご夫妻。お2人のお話を伺いながら、甲斐さんが感じたかつての西陣での営みや、生活の息遣いを、エッセイに綴っていただきました。
「ああ、その辺りはおそらく道が狭いねぇ。行けるだけ行ってみましょか」
年配のタクシーの運転手に行き先を告げると、やわらかな京都弁が返ってきた。
狭い道、と聞いてふっと気持がわきたつ。細い路地が好きだ。京都は小さなお店のひしめく街なかもいいけれど、ふつうの人が静かに暮らすまち並みに惹かれる。限られた人にしか入ることを許されない、秘められた場所のような気がするからかもしれない。
向かうのは西陣と呼ばれるエリアで、古い町家が比較的残るあたりだと教わった。京都御所の前からのびる中立売通りより北、西は千本通りから東は堀川通りに囲まれたあたりをいう。
車窓に流れていく風景を見て、ああと思った。勝手に思い浮かべていた京都と違って、大通りから目に映るのは近代的なビルや商業施設群。それはそうだ。京都に暮らす人たちがみな、古き良き暮らしをしているわけではないのである。
歴史の教科書に出てくるような名所もどんどん目の前を流れていく。西本願寺、二条城、京都御所。もっとゆっくり京都のまちを歩きたかったな、と思う。
酷暑を覚悟していたけれど、夏の終わりの雨で、空気はひやりと冷たかった。
運転手は「たぶん、この辺りでしょう」と、抜けられるかどうかもわからない細い道に車の頭をつっこんでくれた。
人が3人も並んで歩けばいっぱいになってしまいそうな細い路地。
車を降りると、もうその一帯が“西陣”なのだった。
■ 古い家に宿る気配
両脇に民家が隙間なく並ぶ。そのなかに、目指していた谷村さんのお宅を見つけた。両隣より背の低いこぢんまりとした町家で、軒下の柵(駒寄、という)がまだ新しい。
迎えてくれたのは谷村さんご夫妻。奥さんの紗恵子さんは、「森紗恵子」の名でつづれ織という西陣織の仕事をされている。
二人の後について玄関の敷居をくぐると、ふわりと違う時空に入ったようだった。初めて訪れるのに、どこか懐かしい。
細長い土間が家の奥のほうまで続いている。トオリニワと呼ばれるこの土間に並行して、縦にいくつか部屋が並ぶのが、京町家のよくあるスタイルなのだとご主人が教えてくれた。入ってすぐ左手の戸をあけると、8畳ほどの和室にどんと2台、手織りの織機が置かれていた。
昔はこの一番通りに近い部屋がお客さんとお話をするミセノマ、応接間として使われていた。その奥隣がナカノマ。さらに奥がダイドコとよばれる居間。
家の中を案内してもらいながら、土壁や、傷のある柱など、細かなところに目がいった。
古い家に住む実感は細部に宿る、と思う。
私自身、築150年の家に住み始めたのがちょうど昨年からのことだ。京都のような都会ではなく、目の前に田んぼの広がる田舎だけれど、古い家という点では共通点も多いように思えた。
不思議なのは、気配なのだ。
家にひとりでいても、ずっと何かに見守られているような、家自体が命をもってじっとそこにいるような気配を感じる。
何世代にもわたって暮らしてきた人たちの痕跡が、目に見える部分と、そうでないところにまで宿っているのかもしれない。それを重苦しいと感じる人もいるかもしれないが、私には、何か大きなものに守られているような安心感があった。
谷村さんの家にも、そうした気配を感じた。
■ 町家に住む、覚悟
ところが奥さんの紗恵子さんは、初め町家に住むのに躊躇があったのだそうだ。
実家が滋賀の古い家で、その難点を、身をもって知っていたから。
古い家に住む苦労は、あげれば切りがない。
とくに冬の寒さ。本当の寒さとは室温だけの話じゃないと私が知ったのも、昨年の冬を古い家で越してからだ。どれほど部屋をあたためても、ずんずん床から冷えが染みこんでくる。底冷え、とはこういうものかと思った。
なのになぜと問うと、紗恵子さんの答えはシンプルで「一目惚れ」だという。
「この家を見たとき、井戸やおくどさんまでよく残しとかはったなって思ったんです。いまは町家でも土間に床はって部屋にしちゃう人が多いので。システムキッチン入ってたりもするし。でもこれだけ大事にしとかはったのは、前の人に思い入れがあったんやなって。この家なら継いでもいいなと思えたんです」
はっとした。
そうだ。紗恵子さんの仕事は西陣織のなかでももっとも手のかかる、手織りのつづれ織。むろん仕事のうえで、西陣に住むほうがプラスにはたらく面もあるだろう。でもそれだけではなくて、京町家を継ぐのと、織の仕事を続けるのには根底でつながる何かがある気がした。
■ 生活のなかで織られた西陣織
西陣は、古くから西陣織に携わる職人が多く住むエリアだった。
「カッタンコン、カッタンコン、カシャカッシャ、カシャカッシャ…って機音がね、もうずーっとしてました。物ごころついたときからずっと。今でもよう覚えとります」
このあたりの昔の話を聞かせてくれる人はいないだろうかと谷村さんに尋ねたところ、隣の隣に住む中川孝三さんが来てくれた。中川さんは中学を卒業して60年、西陣織の仕事にどっぷり浸かってきた人だ。
「この辺りはみんな機屋だったんですわ。うちにも織機が2台、お隣にも2台。この家にもそこに1台あったよね。ずっと朝から晩まで織るんです。仕事中はいつも玄関は開けっぱなし。そやから町のおじさんが土間を通って奥までふらっと入って来てね、2時間くらいしゃべって帰りよる。靴脱がんでええから、入ってきやすいわな」
犬や猫もしょっちゅう入ってきて住み着いていたらしい。
西陣には、家の奥に広い土間を設けて織り機を置いた「織屋建(おりやだて)」とよばれるタイプの町家が多く残っている。
谷村さんのお宅も織屋建。一番奥を見せてもらったときは、度肝を抜かれた。背の高い織機が置かれていたという土間は吹き抜けで、広々と天井が高く、屋内にもかかわらず、2階から土間を見下ろすようにベランダが張り出している。まるでアングラの小劇場のようだった。
いまはその空間に織り機はなく、回り廊下がめぐらせてあり、毎回土間に降りずとも台所に行けるように工夫されている。少しでも暮らしやすいようにという谷村さんのご主人の配慮が見えるようだった。
「女の人は大変よ。織の仕事しながら洗濯もあるし台所の仕事もあって。うちの母親なんか立ったままトオリニワでご飯食べとったわ」(中川さん)
気になったのは、この織の作業場と煮炊きをする台所が何の仕切りもなく隣接していたこと。土間の奥に水場とおくどさん、井戸が並んでいる。カシャカシャと織機の動く真横で、女性たちは菜っ葉を刻んだり豆を煮たりしたのだろうか。ひょっとすると、鍋からおみそ汁のいい匂いがしていたかもしれない。
以前、この家では金襴が織られていたという。生活の匂いのするど真ん中で、あれほど艶やかな金銀の生地が織られていたのだと思うと不思議な気持がした。
■ 長い歴史の一部をつなぐ
紗恵子さんが、つづれ織の工程を見せてくれた。正式名称を「爪掻本綴織(つめかきほんつづれおり)」というように、両手の中指の爪をけずってギザギザにし、その溝をつかって、織機に用意された経糸(たていと)に、横糸を通して模様を織り込んでいく。気の遠くなるような作業だ。
最近織ったという鶴の帯は、雪原の銀色がきらきら光り、その銀が生地の紫になじんでいくグラデーションが美しかった。
「これは昔、図案描かはった人がいて、一度帯にしたのと同じもんをつくってほしいということやったんです。実物はもうないから、写真を見ながら前の人はどういう糸を使って、どういう技法でぼかしを表現したんかなって考えて。この世界ではずっと、過去の人らがそうしてつないできはったんやと思います」
会ったこともない人の仕事をたどり、その上に工夫を重ねていく。織の世界では、そうした“時の縦軸”がはっきり見えるのかもしれない。
西陣織に長年かかわってきた職人さんが、ある本でこう書いていた。
「織物は一万年からの長い歴史のある人間の生産行為。私はその長い流れの一粒にしかすぎまへん」
ふと、家を継ぐのもそういう感覚なのかもしれないと思った。
自分は長い年月の一部にすぎない。家も仕事も、人の小さな営みの連鎖が積み重なって、磨かれ、やがて文化と呼ばれるものになる。谷村さん夫妻は、織と家の両方の見えない糸を紡いでいる。
谷村さんのお宅を訪ねた数日後、本屋でたまたま『西陣』というタイトルの本を見かけた。思わず手に取ると、神山洋一という写真家が撮った西陣織の現場の写真集だった。昭和50年頃のものだろうか。織屋建の中は何台もの織機で埋まっていて、多くの人が働いていた。
立ったまま汗だくで織り続ける女性、パンツ一丁、くわえタバコで織機に向かう男性、すぐ脇でお膳を広げる女性たち、奥の居間には子どもがちゃぶ台に向かっている。ああやっぱり。こういう光景だったのだ。答え合わせをするような気持で、ページを繰る手が止まらなかった。
優美な西陣織からは想像もつかないが、かつての町家は、まぎれもない労働と生活の場だった。
ふいに、中川さんの言葉を思い出す。
「みんな苦労しとったからかなぁ。どういうんか、まわりの人たちと連携があったよね。もちつきの臼は使いまわしたし、周りのおじちゃんおばちゃんたちがよその子も叱ってくれた。落語でいう熊さん八っつぁんの世界ですわ」
私が町家で感じたのは、そうした名もなき人たちの、脈々と続いてきた日常の気配なのかもしれなかった。
谷村さんの家からの帰り際、暗い路地にほわりと灯った明かりの下で、夫妻がいつまでも見送ってくれた姿を、いま私は自分の古い家でぼんやり思い出す。あのとき玄関先にはどこの家からか、玉ねぎを揚げる天ぷらのいい匂いがしていた。
【終】
この記事に登場する『谷村邸』の空間と文化を次の時代に受け継ぐため、京町家まちづくりファンドが資金面を支援し、外観改修工事を行いました。
こうした京町家を1軒でも多く残していくために、当ファンドは皆さまからのご寄附を募集しています。