多様な価値観が共存する
小さな路地の暮らし。

京町家まちづくりファンド 助成実績紹介エッセイ vol.03 / 2021-09-28

書き手:阿部 光平

京町家まちづくりファンド改修助成事業 令和元年度(2019)選定の五条坂なかにわ路地『岡北邸』を、阿部光平さんと訪ねました。

阿部さんは、旅行、音楽、企業広告など様々なジャンルの取材・記事制作を行うライターであり、『IN&OUT –ハコダテとヒト-』というローカルメディアの編集長もされています。

3児の父でもある阿部さんは、子育てを通じて移住を考えるようになったといいます。東京と出身地の函館での6年間の二拠点生活を経て、2021年3月からは函館に拠点を移して活動されています。幕末に開港した都市である函館も、古い建物が多く残っており、京町家に重なる課題に直面しているそうです。そんな阿部さんにとって、築100年近い京町家が向かい合わせに並び、子どもからお年寄りまで幅広い世代が暮らすなかにわ路地は、どのように映るのでしょうか。

引き継がれてきた伝統を大切にしながらも、今の時代に合った暮らしを営み、多様な価値観が共存するコミュニティが築かれるなかにわ路地。そのハイブリッドな生活をのぞかせてもらうため、去年の春に引っ越しをされてきた岡北家と、改修工事の設計を担当された大庭徹さんにお話を伺いました。

他者との関わりで広がる世界

7ヶ月の息子がハイハイをしはじめて、家の中を自由に動き回るようになった。いつどこで何をするかわからないので、本当に目が離せない。ほとんど自分の家のようだったベビーベッドから解き放たれ、今は目に入るものすべてに興味津々だ。

ベッドの枠で生活領域が区切られていた状態から、何の境界線もない空間で一緒に過ごすようになると、息子との関係性が少し変わってきた。お互いがお互いの生活に干渉し合うようになってきたのだ。

それぞれが独立した存在として同じ空間にいて、お互いに影響を及ぼし合う。それはなんとなく社会の原型みたいだなと感じている。

他者と関わることは、自分の世界を広げるきっかけになる。

しかも、それはどちらかが影響を与える側で、どちらかが受ける側という一方向的な関係ではなく、常に双方的に働く作用だ。友達同士でも、上司と部下でも、インタビュアーとインタビュイーという関係でも、少なからず相手から受ける影響はある。もちろん親子の間柄も例外ではない。

そうやって他者と関わるなかで様々な価値観に触れることが、自分の世界を広げてくれるのだと、僕は思っている。

だから、京都の町家で幅広い世代の方々が暮らしている「五条坂なかにわ路地」の環境は、とても魅力的に感じられた。

■ 五条坂なかにわ路地のグラデーショナルな生活

京阪電鉄の清水五条駅を出て、国道1号線を東に向かって歩く。大型トラックがビュンビュン走っている大きな道だ。このまま真っ直ぐ進んでいくと東京にまで繋がっているらしい。

郵便局の角を曲がり、一本奥の道に入る。そこから2、3分歩くと、緩やかな下り坂の先に、ひっそりと佇む路地があった。

路地の両側には趣のある町家が軒を連ねており、その前には大小様々な自転車が並んでいる。奥まった場所にぽっかり広がっている空間は、まるで秘密基地のようだ。

入ってすぐの看板には、「五条坂なかにわ路地」と書かれていた。

ここは、京都の五条坂近くにある路地。両側にある2棟8軒の長屋は、1927年に建てられたものだ。一般的な路地と比べて幅が広く、入り口の傾斜が敷居となりボールや自転車が飛び出しにくい地形になっているため、昔から子どもたちが集まる遊び場だったという。70代の大家さんもここで遊び、たくさんの子どもたちを見てきたそうだ。

8軒のうちの3軒はしばらく空き家になっていたが、この場所を守りたいという大家さんたっての願いで、2019年に改修工事を実施。現在は学生や子育て世帯、高齢者世帯など、幅広い世代が暮らしており、かつての賑わいを取り戻している。

大学で西洋建築の教員をしている岡北一孝さんも、この場所に惹かれて引っ越してきた方のひとりだ。小宇宙のように親密な路地の空間に魅せられて、改修工事が完成する前に入居を決めたという。

「普段の生活をしている部屋があって、半屋外の土間があり、共有スペースである路地に続いていて、その外に街が広がっている。そうやって家の中と外が空間的なグラデーションで繋がっているのが面白いなと思いました。穏やかでありながら、人の暮らしの気配が感じられる環境が気に入ってます」

岡北さんが話してくれた路地の魅力を聞いて、僕は驚いた。なぜなら、家というのは自分だけの空間が得られることに大きな価値があると思っていたからだ。

家の中と外がキッパリと分かれているのではなく、グラデーションで緩やかに繋がっている生活とは、果たしてどんなものなのだろう。

なかにわ路地での暮らしについて、岡北さんの奥様は「もともと住んでいる方々は横の繋がりを大事にされていて、いつも話しかけてもらえるのが嬉しいです。子どものことを気にかけてくれる人が家族以外にもできて、すごく安心感がありますね」と話してくれた。

家と街が緩やかに繋がっていることで安心感が生まれる。それは、なるべく他者を近づけまいとするセキュリティシステムとは真逆の発想だ。そんな関係性が成立するのは、住人同士の顔が見える路地という場所の特性なのかもしれない。

「なかにわ路地を改修するときのテーマは、路地や町家が本来持つ〝街や自然と気持ちよく繋がる暮らし〟を現代に再生させることでした」

そう説明してくれたのは、設計を担当した大庭徹さんだ。このテーマを実現するために役立ったのが、限られたスペースで快適に暮らす工夫を積み重ねてきた先人たちの知恵だったという。

「日本には四季があるので気温や天気の変化に対応するために、住居の建具には可動性が備わっているんです。例えば、西洋の開き戸は、開けるか閉めるかの2択しかありませんよね。でも、日本の引き戸は開け具合を自由に調整できます。だから、その日の気候や気分によって家をオープンにもできるし、完全に閉ざすこともできる。少しだけ開けておくということもできるんです」

まるで家自体をひとつのコミュニケーションツールのように捉えている大庭さんの話は、目から鱗の連続だった。このような先人の知恵を活かしつつ、現代人の生活に合わせて空間をアップデートさせたのが、生まれ変わったなかにわ路地というわけだ。

空間だけでなく、時間的なグラデーションも感じられる家。そこでの生活には、自分が大きな流れのなかにいる実感と、住むという定点観測でしか捉えることのできない時代を超えた本質的な暮らしの楽しさがあるに違いない。

■ 伝統は人の意思でしか守れない

岡北さんのお宅には、リビングの奥に坪庭があった。

家の中に屋外空間があるという環境は、どうしてこんなにもワクワクするのだろう。同じ屋外でも、玄関先と坪庭では空想の広がり方がまったく違う。「夏はここに座ってスイカかな」とか「ジッと雨を眺めているだけでも楽しそう」など、考えてるだけでも楽しくなる。

ちなみに、岡北家では坪庭にプールを出して遊んでいるそうだ。表は外に開きつつ、内側にはプライベートな屋外空間を有している環境は、日々の暮らしに自由な発想を与えてくれそうで、心の底から羨ましく思う。

坪庭は観賞用に作られたスペースだと思い込んでいたが、実は採光や風通しの役割もあるということを初めて知った。長屋は壁1枚を隔てて隣の家という構造なので、側面に窓がつけられない。そのため家の奥に坪庭を作って、そこから光と風を取り込む作りになっているのだ。

しかし、昭和の中頃になると、それまでにはなかった内風呂を作るために、多くの町家では坪庭が潰されていった。坪庭にユニットバスが設置されると、室内は暗くなり、風の通りも悪くなる。その結果、よりよい住環境を求めて町家を離れる人が増えていったそうだ。

そんな話を聞いて、「人が便利さを求めるは当然だ」という感想と、「伝統は人の意思でしか守れない」という感想が同時に浮かんだ。

だからこそ、伝統的な建物を住居として守っていくためには、その環境下で培われた知恵を大切にしながらも、現代の暮らしや価値観に合わせてアップデートを繰り返していく必要があるのだろう。いくら歴史的価値があったとしても、関心を寄せる人がいなくなれば失われてしまう。伝統というのは、そういう危うさの上に立っているのだと実感させられた。

事実、京都で町家が取り壊されていく原因の多くは、住む人がいなくなって大家さんが建物の価値を見失うことに起因しているそうだ。それなら更地にして売ってしまおうと思うのも無理はない。

そう考えると、岡北さんのような方がなかにわ路地にやってきたのは、町家にとってすごく幸運な出来事だったのだと思う。そして、大家さんが守ったのは建物だけでなく、そこでの暮らしや風景、伝統的な建築技法など、本当にたくさんの価値あるものだったのだと気付かされた。

取材の最後に岡北さんは「この場所で育った息子が、将来どんな暮らしを望むのか。それがすごく楽しみなんですよね」と言った。

他者と関わることは、自分の世界を広げるきっかけになる。そして、残されたものの未来は、次世代の人たちへと託されていく。

路地という小さな世界からは、どのような未来が描かれるのだろう。それはきっと、今よりずっと多様な価値観が共存する暮らしになるはずだ。

【終】


五条坂なかにわ路地 改修助成事業 記録集

この記事に登場する『なかにわ路地』の空間と文化を次の時代に受け継ぐため、京町家まちづくりファンドが資金面を支援し、外観改修工事を行いました。

こうした京町家を1軒でも多く残していくために、当ファンドは皆さまからのご寄附を募集しています。

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