活動実績

講演摘録

アーバンファブリックス

京都大学名誉教授 三村 浩史 氏

第二は、町並みの変容。アーバンファブリックス、という言葉を使っております。ファブリックスというのは西陣織のようなもので、いろんな縦糸横糸できれいな織物になっている、次々と新しい糸を加えていって織り成していくという、人間の手が作る錦とか綾のような織物のことをいうのですが、まちというのは大規模な施設ばかりでできているものではなくて、小さいお店や商家、大本山のような大寺院ではなくて、庶民が大事にしてきたようなお寺とか祠とか庭とか、そんな横糸が歴史的時間という縦糸の中に織り込まれてできている、そこに歴史の厚みとかおもしろさとか人間らしいスケールとかそういうものが入っている。そういうものを世界的にアーバンファブリクスという言葉でいっています。これらと、たとえば一括して造った京都駅とか洛西ニュータウンとかと比較してみると、そのおもしろさ、変化のきめこまやさ、多彩さの違いは容易に理解できるのではないかと思います。最近、京都がおもしろいというのは、そういう面に関心が集まっているということの現れではないかと思うんですが、しかし一方では、だんだん町家が危機に陥っているということであります。そういうものを歴史的中心地区として位置づけて、どういう風に維持していくか。そこで、もう一度町家とその町並みが京都の歴史的中心地区の原型、プロトタイプとして持っている意味というものを位置づける必要があるわけです。 3年間前、京都市も南部の大規模開発と平行して歴史都市京都のまちなかをどうするかと「職住共存地区整備ガイドプラン」を策定しています。職住共存地区ではマンションもある程度容積を抑えて、町家と共存していけるようなまちなみをつくるべきである、それを地区ごとに、元学区あたりを単位にして、住民参加のまちづくりをやって、必要な容積の規制、ダウンゾーニングの追加をやっていく。それから、町家を残そうとすると、木材や、大工、左官など職員さんを育てないといけないし、また、いったん空き家になるとすぐ壊されますので、空き家になるときに、中古住宅、日本では中古を悪くいうのですがアメリカやヨーロッパでは中古のほうが価値が出るんですけども、このユースドハウス、使用された住宅をお預かりして次の住み手、買い手を捜し、手入れして蘇生させていく、そういう仕組みづくりがぼつぼつ始まっています。けれども、どこでどうするか、という具体的な動きがまだまだ鈍い。地区計画では容積率が、6m位の道路だと敷地面積に対して360%くらいの容積の建物が建っている。駐車スペースを残すと8階くらいまで建つ、そういうものが許されていて、次々マンションが建つ状態です。だんだん町家が日陰になっていく。それは、市民の権利、デベロッパーの権利も関係していて、また、マンションが建つと市にも固定資産税が入ってくるので市の方も財政的には潤う。町家が大事なんて口では言っていながら、もう少しなるようになって、町家が最後の100件くらいになってから「保存」とか言うつもりでいるんじゃないかと勘ぐるくらい取り組みが鈍い。これを本当にやろうとしたら、体制をもっと強化しないといけない。それから、町家がそのままであってもいけない。住みづらい、快適でない。最近、若者が西陣の町家に住み込んでいます。アーティストインレジデンス。彼らは若いし、実験的に住んでいる。だから底冷えもかえって面白いとか言っているが、普通の人にはやっぱり寒いし、設備も悪い。改装して快適に住めるようにしないといけない。私も一昨年、京町家快適環境研究会に出たのですが、床暖房とか、いろいろ対策をすれば、結構快適に、町家でもあたたかく住めるのですね。それから防災、これも今まで建築基準法上は不適格で、いわば既存違反の建物で危ない。地震が来たらひとたまりもない建物と言われています。古い町家に住んでいるお年寄りなんか被害に遭う人が増える。町家を保存しろと言ってきた、この責任をどう取るのかとたぶん私も責められます。これも最近は国の政策や町家に関係する人の立ち上げで、木造の戦前の町家を新しい考え方で構造計算しなおせば、割合適切な価格で耐震補強ができるということになってきています。そういう技術開発もできている。あと、町家は木造が表に出ていますが、準防火地域とか京都のまちなかでは、木造の部分を表に出すことはできません。これも現在ではアラーム装置とか防災設備ができているから、従来の木造の姿で新しい京都の町家を建てるということも今開発中です。これらのことに、ちゃんと見積りを出して、京都の木造の町家を耐震補強して、バリアフリーにして、活用していくためにはどれくらい要ります、そして防災的に普及するにはどれくらい資金が要ります、古い住宅をどんどんリストアップしてきて、技術開発をして手を加え、次の買い手を捜して、そんな町家の流通機構を立ち上げます。これら全体を見積もってみると年間何億円の資金をまわす必要があります。これを安定した基金でささえるとすると何百億円要りますとか、そしたら、京都のまちはこれくらい町家の伝統を活かしながら良くなります、よそから見てもさすが京都は違うと言われるまちになりますと、そういう見積書を出して請求すれば、なるほど国家戦略は必要である、と説得力がつくわけです。ただ、京都だけでは守りきれないから国にお願いします、というなら昔と一緒で、ほかの都市は「日本文化を担っているのは京都だけじゃない。京都は観光スポットもあり、大学もあり、こんなに恵まれたところは他にないのに、そこだけ国家戦略で助けてくれなんてあつかましい。」と言うんです。国だって、なんで京都だけ京都特別基本法などつくるのか、と。今のままでもちゃんとやっている、それがジリ貧になってだめ、しかし、この地方分権の時代に、毎回毎回、この町家を直すのに国から補助金いくらともらってくるという時代じゃない、一括して、京都で運用できる基金をつくれということになる訳です。そのためには国も何百億円でもいいのですが基金の半分は負担する。京都は官僚頼みが多いんですが、やっぱり自分達も集める。京都人も集める、お寺も、文化団体も観光や交通業界も皆で集める。それで基金をつくって今までできなかった高度な京都の保存創生を年々実行する。そのような見積りを出せば、国民とか中央官僚の支持を得ることができるのではないでしょうか。去年6月のアピールだけでは京都が大変だから金よこせという、よそからみたら非常にあつかましいアピールと読み取られます。私は署名した一員として、今までの京町家を活かしながら、新しい町家を加えて、おもしろいアーバンファブリックスを育てていく、そのためにどのくらいの仕事をしないといけないかをアピールしていく必要があると思います。それは、市民に対するアピールでもあるし、国に対するアピールでもある、そういう取組が必要であると思っています。

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