京町家を社屋とすることで、日本の文化を継承し、社会に貢献。
お客様をおもてなしすることで伝えていきたい。
錠剤製造用金型(杵・臼)の製作・販売を行う企業である株式会社ツー・ナイン・ジャパンが京町家を保全・再生することになったのは、研究開発拠点(R&Dセンター)用の土地に大型の京町家が建っていたことがきっかけでした。R&Dセンター建設のために既存の京町家を壊そうとしたところ、京都市から「貴重な建物なので残していただけないか」という相談を受けたため、保全・改修を検討することとなりました。
最初に訪問した当時の建物外観
京町家を残すため、R&Dセンターの建設地として京町家の北側の土地を新たに取得することから始まり、改修の完了までには1年半を要しました。その間、様々な方面からの助言を受け、代表取締役の決断の下、徐々に計画が定まっていきました。改修の設計は、京町家カルテ作成などの建物調査を行った建築士の古賀氏が担当しました。
改修前の座敷
改修前のお庭に残された貴重な石や灯篭
改修前の土間と通り庭
この建物は大正4年(1915年)に建築の2列3室型のツシ2階建[1]の形式を持つ京町家です。築100年を超えていますが、建物は極めて良い状態だったため、改修設計にあたってはもとの建物を生かすことを第一に考えられました。唯一大きく変わった通り庭[2]は、薪ストーブの雰囲気に合わせるために床がタイル貼りになっています。その他は不陸[3]を直し、若干の耐震補強を行った程度の改修にとどまっています。外観については、虫籠窓の額縁を含めて浅葱漆喰であっさりと仕上げ、以前よりも洗練された雰囲気になりました。
本来の美しさを残した改修後の外観
改修後の座敷
薪ストーブの雰囲気に合わせるため、タイル貼りにした床
この建物は、通常の京町家に比べて全体的に骨太で、転用材[4]が少ないという特徴があります。垂木には通常は細い丸太が用いられることが多いのですが、この建物には角材が用いられています。また地業[5]がしっかりなされていたことも建物状態の良さに繋がっています。
押入れの中と2階(ツシ)に耐震壁を設けることで耐震補強を行っていますが、いずれも通常は目立たない場所なので、しつらえや空間構成には影響していません。
元々の骨太な構造を活かした通り庭
株式会社ツー・ナイン・ジャパン企画課長
伊藤圭一さんのお話
株式会社ツー・ナイン・ジャパン 代表取締役 二九規長さん(左)、企画課長 伊藤圭一さん(右)
当初はこんなにお金がかかる、大きくて古い町家をどうやって使うのかと、従業員の間にも疑問の声がありましたが、改修工事後の京町家の姿を見ると「あぁ良い建物だな」と思い、社長の想いを理解することができました。
京町家を社屋とすることで、日本の文化を継承し、社会に貢献する企業の姿勢を示すことができると考えています。お客様をおもてなしすることを通じて、それらをアピールできるのではないかと考えています。ゆくゆくは海外のお客様もお招きしたいと思っています。海外展開も視野に入れ、グローバルニッチトップ目指す企業が、京都らしいものづくりについて知っていただくための舞台として、この建物を活用したいと思います。
[1] ツシ2階建:2階部分が1階に比べ低い京町家のこと。2階部分は「ツシ」と呼ばれ、物置などとすることが多かった。明治後期までの建物に多く見られる。窓は虫籠窓であることが多い。
[2] 通り庭:町家の表から裏までを貫く土間空間。炊事場などの水回りが配されていることが多い。
[3] 不陸:部材や表面が水平ではないこと。
[4] 転用材:他の建物で使われていた部材のこと。ホゾ穴などがあるため、一般的には強度が劣る。
[5] 地業:基礎構造のうち地盤に対して行う工事のこと。